永遠に 共に


 
 
 空港の発着情報の電光掲示板を見上げて、王崎はため息をついた。
 食事をのんびりしすぎて慌てて来たのに、予定の時間に飛行機はまだ到着していない。
 香穂子が乗っているはずの航空会社のカウンターで確認すると、どうやら現地の天候の問題で離発着が遅れている
らしい。
 成田からアムステルダム、そこからウィーンへと飛行機を乗り継いで、かれこれ16時間半。
 直行便はもちろんあるが、時間と価格を秤にかけて価格を取って格安運賃で来る香穂子にはフライト時間の長さが
身に染みているだろう。 
 到着予定時間を確認すると、まだ2時間近い余裕がある。
 喫茶店にでも入っていれば時間も潰せるだろうがそんな気にもなれなくて、ジューススタンドでコーヒーを買ってから、
到着ロビー近くのベンチに落ち着いた。
 少しでも早く香穂子の顔が見たい。
 最後に会ったのは4ヶ月前の日本での仕事の時。
 もう4ヶ月もあの笑顔を見ていない。
 『優しさと癒しのヴァイオリニスト』 などとCDの帯で煽られている王崎だが、彼にとって最も癒しになるのはやはり恋人
の笑顔だった。
 出会ってから早4年、その間にどれだけ彼女の笑顔に癒されたことだろう。
 今でこそ友人・知人も増えて不自由ない生活を送れている王崎だが、やはりウィーンに渡った時にはそれなりの苦労
はした。
 その大変さや孤独さを癒してくれたのは、遠い日本から送られてくる恋人からの温かいメールや電話と輝くような笑顔
の写真だった。
 多分自分の知らないところで王崎不在の寂しさに涙したこともあるだろうに、そんなことはおくびにもださない香穂子
の健気さが本当に愛しいと思う。
 そして、だからこそ早く香穂子と幸せになりたい、ずっと一緒にいられるようにしたいと思う。
 今までそんな焦りがなかったわけではないけれどなかなか現状が許さなくて、ずっと行動に移れないでいた。
 でも、今日は。



「あら、失礼ですけど、もしかしてシノブ = オウサキじゃなくて? 」
 不意に声を掛けられて、王崎は知らずうつむいていた顔を上げた。
 初老の女性が目の前に立っていた。
 品のいいスーツを召して温かい微笑みを浮かべた姿は優しいおばあちゃんといった態である。
 反射的に立ち上がった王崎はうなずいた。
「はい、王崎です。 失礼ですがどこかでお会いしましたか? 」
 微笑みが一層深くなった女性は嬉しそうに言った。
「まあ、お会いできて嬉しいわ。 私あなたのファンなのよ。
一昨日のコンサートももちろん聴かせていただいたわ。 とても素敵で素晴らしかった。 」
 一昨日、王崎は地元のコンサートにソリストとして出演していた。
 本当は香穂子がとても行きたがっていたのだが、飛行機の都合がつかず、諦めたのだった。
 そのコンサートに来ていたのだと聞かされて、王崎は微笑む。
「そうでしたか。 光栄です。 楽しんでいただけたのならば本当に嬉しいですよ。 」
 老人にも可愛がられる人懐こい笑顔は健在で、女性はファンというよりは孫息子を見る目で微笑む。
「ご迷惑でなかったら握手をしていただけないかしら。 こんなおばあちゃんじゃ嫌かしらね。 」
「とんでもない。 僕の方こそ、こんな若造のファンだと言っていただけるだけで感激です。 」
 女性の小さな手を両手で包むように握る。
 すると女性は少女のような笑顔で笑った。
「ふふふ、今日ここへ来てよかったわ。 アムステルダムに行っていた孫が帰ってくるから迎えに来たの。
ところでシノブ、あなたは何故ここに? 」
「僕もひとを迎えに。 あ、もしかしたらお孫さんと同じ便の飛行機に乗っているのかもしれません。 乗り継ぎの飛行機が
アムステルダムからですから。 」
「まあ、そうなの。 ふふ、恋人かしら? 」
「え、あ、その…はい。 」
 一瞬誤魔化そうかと思ったが、結局正直に言ってしまう。
 王崎の仕事のマネージメントをしてくれているエージェントからは営業上だろうか、恋人がいることをあまり外で言わな
いようにと言われていたが、訊かれれば王崎は結局うなずいている。
 彼にとって香穂子の存在を隠すことが自分にとってのプラスだとはどうしても思えないからだ。
 なにしろ日本と違ってあからさまに擦り寄ってくる外人女性に辟易する王崎には、「恋人がいますから!」と叫んで逃
げ出すこともしきりなのだから。
 恋人がいるからと宣伝したところでそんな女性が減るかどうかは判らないが、別に公開したって構わないと思っている
王崎が質問を誤魔化す必要性を感じないのは確かだった。
「そう、恋人がいるのね。 孫が残念がるわ。 あの子もあなたの大ファンなの。
恋人に立候補したいって言ってるくらいなのよ。
そうだわ。 もし本当にあなたの恋人と孫が同じ便だったら、孫にも会ってもらえないかしら。
恋人になるのは無理でも、サインくらいならお願いしても構わないかしら? 」
 茶目っ気たっぷりに笑う女性に、王崎も笑ってうなずいた。
 そうこうしているうちに、香穂子の乗っているはずの飛行機が到着した。
 到着ロビーのゲートから次々と人が出て行く中、王崎はその中から香穂子の姿を探す。
 …いない?
 乗り遅れたのだろうか、それともなにかトラブルでも?
 漠然と不安になってきた時、人波のほとんど最後尾の辺りに見覚えのある髪の色。
 なんだかふらふらしているような気がするのは気のせいだろうか。
 やがてゲートを抜けてきた香穂子を見て、王崎は会えた喜びより先に驚いて声を上げた。
「かほちゃん、どうしたの!? ひどい顔色だよ? 」
 いつもなら嬉しげに飛びついてくる最愛の恋人は、隣の見ず知らずの若い白人女性に気遣われながら青白いカオで
旅行トランクに半ば身を預けて歩いてきた。
 王崎のカオを見た香穂子は、弱々しく微笑んで王崎の元へと辿り着く。
 王崎の腕にもたれ掛かってから、香穂子はうめいた。
「…き、気持ち悪い〜…。 」
「…は? 」
「シノブ = オウサキ!! カホコ! あなたの恋人って、シノブなの!? 」
 更に横から声が掛かって、香穂子を支えながらその声の方を見れば、香穂子の隣にいた白人女性が目をまん丸にし
ている。
 ワケが判らなくて、でもとりあえず香穂子の知り合いらしいとうなずくと、白人女性はすぐ傍に来た先程の初老の女性
を振り向いた。
「おばあちゃん! シノブには恋人がいたんだって! 残念だわ! 」
「ええ、私もさっき聞いたわ。 」
どうやら彼女は女性の孫だったらしい。
 本当に同じ便だったらしいのはともかく、王崎は香穂子のカオを覗き込んだ。
「かほちゃん、大丈夫? 気持ち悪いって、体調でも崩した? 」
 だが香穂子は、うー、とうめくと大きくため息をついた。
「…飛行機に酔いました〜… 」


 飛行機に酔ってへろへろな香穂子の代わりに話してくれた孫娘の説明によると、気象状況が悪かったらしく、落ちな
いかと心配になるくらい随分と揺れたらしい。
 おまけに乗り継ぎの待ち時間に食べたハンバーガーに挟まれていた卵がとても不味くてちょっと気分が悪くなったの
にそれだけ揺れて、一気に酔ったのだそうだ。
 偶然隣の席だった彼女が調子の悪そうな香穂子を見兼ねて世話を焼いてくれたらしい。
 丁寧にお礼を言った王崎は、市内に戻るのならぜひ一緒にと言ってくれたその申し出を、香穂子の具合が少し治まる
までここにいるからと断り、ならばぜひと言われて彼女の持っていた王崎のCDにサインをして別れたのだった。
 2時間以上も時間がずれた上に香穂子がこの状態では、昼食は食べられそうにない。
 夕食はレストランを予約してあるが、まぁ、それまでには多分回復しているだろう。
 今日はいずれにしてもゆっくりするつもりだったから時間を気にすることはない。
 香穂子の回復を待ちながらのんびりすることにしよう。
 王崎はベンチに腰掛けて、香穂子の肩を抱いた体勢になっていた。 すこしでも香穂子が楽なように。 
「…ごめんなさい。 」
 微かな声がして、王崎の肩に凭れてうつむいている香穂子のカオを覗き込む。
「ん? 」
「久し振りに会ったのに、せっかく会えたのに私…、こんな体たらくで…。 」
「なに言ってるの。 別にかほちゃんが悪いわけじゃないでしょ。
おれはこうやってかほちゃんと一緒にいられるだけで嬉しいんだから、そんなコト気にしない。 」
 優しい口調は相変わらずで、香穂子はうん、と微かにうなずいて目を閉じる。
 付き合って4年近いが、相変わらず王崎は優しい。
 見た目こそ少しはオトナっぽく女性らしくなってきた香穂子だが、そういう点で言うなら王崎だってとても男らしく頼り甲
斐のある男性になっていると思う。
 一人前のプロヴァイオリニストとして名前の売れてきた王崎だが、相変わらず態度が変わることもない。
 地元に戻ってきた時も平気で学校にカオを出したりするところは変わりなく、そんな飾らないところはむしろ、「もっとプ
ロらしく偉そうにしてたらどうなんですか。」などと土浦辺りからはからかい混じりに突っ込まれているくらいだ。
 だが、やっぱり王崎はプロヴァイオリニストだと、香穂子は飛行機の中で思った。
 そもそも香穂子があの孫娘と話す切欠は、飛行機酔いのせいではない。
 彼女が持っていたハンドバッグの中からCDが落ち、それを拾ってあげたからだった。
 落ちたCDは王崎のもので、驚いた香穂子の反応を見、日本人だというのもあって彼女が「オウサキを知っているの
か」と訊いたのが始まりだった。
 さすがに恋人だとは言えなくて知り合いだと言うとひとしきり “王崎談義” があって、更には話の流れでドイツで活躍し
ているソリストの月森蓮も同じ高校の同級生だったと言うととても羨ましそうだった。
 王崎のおかげでとても仲良く話した2人だったが、次第に香穂子の調子が悪くなり、誰か迎えに来ているのかという質
問に、恋人が来ているはずだと言ったらそれまで付き添ってあげるわと申し出られ、迷惑をかけるとは思ったが体調に
は勝てずお願いした次第だった。
 別れ際に今後ともぜひ仲良くしたいと電話番号やアドレスを書いた紙を押し付けられたのは、多分に王崎のせいもあ
っただろうことは想像に難くないが、とても優しい女性だったと思う。
 たまたま偶然会った女性でさえヴァイオリスト・王崎を知っている。
 香穂子はそんな男性の恋人なのだ。
 そう思うと、嬉しいやら誇らしいやら、そしてとても緊張もする。
 …そして、正直少し不安であることも嘘ではない。
 ここ、ウィーンには素晴らしい音楽家がたくさんいる。
 そして、たくさんの素敵な女性も。
 いつも傍にいても心変わりされる人がいるのだ。
 どんなに急いでも半日以上掛かるほど遠く離れた場所にいる恋人の心が絶対に変わらないなんてそんな保証、どこ
にもない。
 香穂子に出来るのは、王崎の香穂子への想いを信じる、ただそれだけ。
 大きな手が香穂子の肩を温めている、そのぬくもりが確かな想いだと、そう思いたい。
 ずっと一生傍にいる、いられるその権利を得る、その日までは。





 随分日が傾いてきて、暖かい日の光がオレンジに染まる。
 この街を訪れるたび連れられてくる王崎お気に入りの広い公園に、王崎と香穂子はいた。
 日本の都会の公園とは比べ物にならない広さと自然の多いこの公園は、王崎が留学した頃からずっとヴァイオリンの
練習によく使っている場所だ。
 音楽の都とはよく言ったもので、学生から年配の人まで多くの市民が楽器を扱うこの街で、この公園はそんな人たち
の演奏の場ともなっていた。
 王崎が気に入っているのは、その雰囲気が星奏学院にほど近い港の傍の公園を思い出すからなのかもしれない。
 今日もどこかから楽器の音が聞こえてくるのを聴きながら、香穂子は大きく伸びをした。
 そんな姿を見て、王崎は笑う。
「もうすっかり大丈夫だね? 」
「ご心配お掛けしました。 」
 伸びたついでに深々と頭を下げた香穂子は、起き上がると照れた笑顔を浮かべる。
 無理をしている様子は見受けられなくて、王崎は安堵のため息をついた。
「それならいいけど。
ゲートがら出てきた時のかほちゃんの真っ青なカオ見た時はナニゴトかと思ったけどね。 」
「はうう〜…、面目次第もございません〜。 」
 情けない声の香穂子に、王崎は笑った。
 それから傍へ寄っていくと、香穂子を捕まえて突然ぎゅっと抱き締める。
 唐突な行動に驚くも、香穂子も背中に腕を回す。
「改めて。 …会いたかったよ、かほちゃん。 」
 耳元で言われて香穂子もうなずく。
「ん…、私も…。 少しでも早く会いたかった…。 」
 僅かに顔を上げると、待っていたかのように王崎が唇を寄せた。
 以前はそんな行動もなかなか人前では出来なかった王崎だが、4年間の外国暮らしで随分と慣れてきたらしい。
 それでも離れた時にはちょっと照れくさそうな顔をして、王崎は香穂子の身体を離した。
「ごめん、うちまで我慢できなかった。 」
「そんなコト謝らなくていいってば…。 」
 わざわざ言われると余計に照れる。
 くすくすと笑い合う。 そんな些細なことでも嬉しい。
 ふと思い出して、王崎は言った。
「そういえば、会ったら直接言おうと思ってたんだ。 もう1ヶ月前だっけ、コンクールの入賞おめでとう。 」
「え、あ、ありがとう。 」
 1ヶ月ほど前に日本の楽器メーカー主催のコンクールがあり、それに参加した香穂子は2位を獲得したのだった。
 それほど大きな大会ではなかったが、今も2人と仲のいい火原がしっかり王崎に報告したらしい。
「最終で弾いた曲って 『サパテアード』 だっけ。 よかったら聴かせてくれないかな。 」
「ええっ、今ここで? 」
「うん。 」
 にっこり笑顔で言われてはイヤとは言えない。
 恋人とはいえプロに聴かせるのだからと緊張する香穂子だが、それでも空輸してきた愛器を出した。
 調弦の後、緊張気味に弾かれ始めたのは、軽快な響き。
 スペイン舞踊曲の1つでありフラメンコのリズムを元に作られたというこの曲は、その踊りから生み出される靴音のよ
うに軽快なリズムを躍らせる。
 伴奏はないものの、次第に演奏者も楽しくなってきたらしい。
 最後には口元に笑みを浮かべて4分ほどの曲を弾き終えた。
「ブラーヴァ! 」
 拍手と共に王崎が声を上げて、香穂子は照れくさそうに微笑んだ。
「とてもよかったよ! いつのまにか随分腕が上がったね。 」
「信武さんにそう言ってもらえると嬉しいな。 」
 安堵の笑みを浮かべる香穂子。
 だが、次の王崎の質問に、僅かに顔を曇らせる。
「それでかほちゃん、進路は決めた? 」
 それが今の香穂子の一番の懸念材料だった。
 現在大学3年の香穂子にとって、今後の進路によって考えなくてはならないことがたくさんある。
 横に荷物を置いたベンチに座ってうつむいた。
「…正直、まだ迷ってる。
一応教職は取ったけど、コンクールで入賞したこともあって先生はできることなら留学しろって言うの。
先生は信武さんのこと知ってるから、ウィーンなら別に不安はないだろうなんて言うし。
お母さんは心配そうだけど私が行きたいのならがんばれって言ってくれたし、お姉ちゃんもお兄ちゃんも応援してくれて
る。 でも、お父さんが大反対で。 」
「末っ子が手元にいなくなるのが心配? 」
「それもあると思うけど、お姉ちゃんの結婚が決まりそうなんで、なんでも反対モードに入ってて。お兄ちゃんは内心諦
めてるから大丈夫なんて言ってるけど。 」
「それはおめでとうって言っていいのかな? 」
「言ってやって下さい。 随分長いこと付き合ってた人だし、お母さんなんかはいい加減さっさと結婚しなさいなんて言って
たくらいで。
結局嫌がってるのはお父さんだけなの。 」
 明るく笑う香穂子だが、王崎は内心、それはちょっと困ったな、と思わないでもない。
 だがそれにはまったく気付かず、香穂子は続ける。
「私はね、音楽の先生をしながらアマチュアででもヴァイオリンを続けられればいいやって思ってるの。
でもそう言うと、大学の友達はもったいないとか言って怒るし、笙子ちゃんは半泣きで続けてくださいって言うし、土浦く
んはおまえなに冗談抜かしてやがるとか言って凄むし。
あ、火原先輩は喜んでるけど。 同業者ができる♪って。 」
 そういえば火原は春から星奏高等部の教師に採用されることが決定したと先日連絡があった。
 そこまで言ってから、香穂子は王崎を見上げた。
「…信武さんももったいないって反対する? 」
 不安げな瞳は否定されることを恐れている目で、王崎は少し考えから答えた。
「正直に言えばもったいないとは思うし、留学も自分がした身としてはとても有益だとは思う。
でも、それでもかほちゃんが決めたことならば反対はしないよ。
もちろん、後悔しないなら、という条件付きだけどね。 」
 香穂子は、王崎の言葉を反芻してからうつむく。
「…揺れないといえば嘘になりますよ。 
だって、ウィーンに留学すれば、信武さんの傍にいられるもの。
でもお金だってたくさん掛かるし、それでなんの成果も上げられなかったら留学の意味がないし。 」
「意味があるかないかはやってみないと判らないよ。
留学することで音楽の先生としてのかほちゃんに箔がつくってコトもあるしね。 」
「信武さん、先生とおんなじコト言う…。 」
 上目遣いに恨めしそうなカオをする香穂子に、王崎は思わず苦笑した。
 隣に座って香穂子の頭を撫でて。
「ごめん、余計に悩ませちゃったかな。
でもね、かほちゃんが決めたことなら反対しないっていうのは本当だよ。
いっぱい悩んで考えて、それで出した答えならそれがきっと一番正しいって思う。
だって、自分の思いを一番判ってるのは、やっぱり自分だもんね。 」
 そこまで言ってから、王崎は内心でとても迷う。


 自分の望みを言うことで、自らの行く末を迷う香穂子に、更に迷う道を1本増やしていいものだろうかと。
 今朝、家を出る時には決意してきたその行動を、香穂子に提示していいものなのだろうか。
 自分の望みは自分が一番判っている。
 だが、それを口にすることで、香穂子が更に悩むことになるのなら、そうしてはいけないのではないか、そんな気がし
ていた。
 だけど。

 もうこれ以上、自分の心に虚勢を張るのも限界だった。



 視線を明後日の方向に向けて、王崎は言った。
「ねぇ、かほちゃん。
悩みついでに、もう1つだけきみの選択肢を増やしてもいいかな。 」
「え? なに? ナニか画期的な案があるの? 」
 大きな目を王崎に向けて問う香穂子だが、王崎は素直に答えない。
 その代わりに王崎は香穂子の膝の上のヴァイオリンを取り上げた。
 何をするつもりなのかは判らないが、香穂子はそのままヴァイオリンを手放す。 
 立ち上がった王崎は、香穂子の前で楽器を構えた。
 やがてその手から流れ出したのは、2人にとってなにより大切な曲。
 『愛の挨拶』 だった。
 丁寧に心を込めて奏でられるその音は、今まで聴いたどれよりも甘く優しく、香穂子の心を震えさせる。
 うっとりと聴き入った香穂子だったが、演奏が終わると何故王崎が突然この曲を弾いたのかが判らなくて、恋人を見
上げた。
 僅かに残っていた迷いを演奏することで振り払った王崎の瞳が、今度はまっすく自分を射抜いているのに気付いて少
し戸惑う。
「…信武、さん…? 」
 呟くように名を言うと、王崎は香穂子の横のケースにヴァイオリンを置いてから、おもむろに彼女の足元に片膝を付い
た。
 そして香穂子の両手を自分の両手で包む。
 見上げた瞳はとても真剣で。

「日野香穂子さん、おれと結婚してください。 」

 …息が止まるかと思った。
 極限まで大きく見開かれた瞳で目の前の恋人を見つめれば、王崎はそれをしっかりと受け止める。
「王崎香穂子になってくれませんか? 」
 更に付け加えられた言葉に、香穂子は頬を染める。

 早くそう名乗れるようになりたかった。
 少しでも長く、少しでも一緒にいたかった。
 でも、世界が王崎の音楽を欲することで、香穂子が彼を独り占めすることは許されず。
 更には香穂子の学生という身分が許さなくて。
 学生結婚やまして駆け落ちなんて、2人の性格がそれを認められなかった。
 誰からも祝福され、認められる結婚をしたいと思っていたから。
 だからいくら早くても香穂子が大学を卒業するまで、そんなコトを言ってもらえるなんて思っていなかった。
 なのに。

 握った手に力を込めて、王崎は香穂子を見つめる。
「ただでさえ迷っているきみを更に迷わせるような事を言ってごめん。
でも撤回はしないよ。
おれは、もうこれ以上かほちゃんがいつも傍にいてくれないのが寂しくて耐えられそうにないんだ。
だからお願いだ。
ずっとおれの傍にいて。 おれだけのかほちゃんになって。 」
 心からの想いを口にする王崎の言葉は、誠実で真摯で、香穂子の心を揺さぶる。
 想い合っているのは判っていても結婚という決意はまた違う重みを持っていて、王崎は香穂子からの返事を緊張の
面持ちで待った。
 だが、その瞳が見開かれた。
 …香穂子の頬に、透明な雫が流れる。

「…はい…。 」

 微かな声が、王崎の心に届いた。
 固まっていた香穂子の表情が、見る見るうちに柔らかくなっていく。
 泣き笑いでもう一度、香穂子は答えた。
「はい、喜んで。
……嬉しい……! 」
 その瞬間、王崎は香穂子の細い身体をかき抱いた。





「おれ、思ったんだけど。 」
 家へ戻る道すがら、王崎は香穂子に言った。
「おれとかほちゃんが結婚するのって、状況だけ考えたらみんなが納得するいいことだと思うんだけど。 」
「…はい? 」
 首を傾げる香穂子に、王崎は言った。
 結婚して『王崎香穂子』としてウィーンに滞在するのなら、せっかくだから留学して勉強すればいい。
 香穂子1人位増えたってなんともない程度には収入があるから金銭的にもそれほどの心配はないし、この辺は割りと
治安もいいから生活する場としてもそれほど悪くない。 
 ただ留学で娘を海外に出すよりは、結婚してその相手と一緒の海外生活の方が香穂子の両親もそれほど心配はさ
れないだろう。
 子供ができたら日本に戻ろうと思っているが、それまでの海外生活なら香穂子も大丈夫だろう。
 日本に戻ったら音楽の先生になったっていいしヴァイオリンの教室をしたっていい。
「ね、これでかほちゃんの進路問題は解決、みんなの意見も通るでしょ。
おれはかほちゃんと一緒にいられる。
かほちゃん自身の希望であるずっとヴァイオリンを続けるとか先生になるっていうのも叶う。
かほちゃんの先生の留学させたいとか、冬海さんや土浦くんのヴァイオリンを続けろっていう意見も聞けるし。 
ほら、これでみんな幸せ。 」
 にっこりと笑う王崎に、香穂子は思わず笑い出す。
「珍しく強引な展開ね。 でも、みんな喜ぶけど、うちのお父さんは? 」
「…うっ…、ちゃんとお許しをいただきに上がります。 」
 一瞬口篭ってから王崎は苦笑した。
 今後の一番の難関はソレかもしれない。
 でも、必ずちゃんと認めてもらう。
 自分と香穂子の未来の為に。
 2人が幸せになる為に。



 くすくすと笑いが止まらない香穂子は、とても幸せそうで。
 ちょっと困ったように微笑む王崎も、でもとても嬉しそうで。
 逢えなかった分を埋めるかのようにしっかりと握り合っている香穂子の左手薬指に、王崎の3つ分の仕事代の指輪が
光っていた。




 ――――――― もう迷わなくていい。 これから先、永久に、あなたと共に。






                                                 了
                                                  08.01.26



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またまた、頂いてしまいました !!
『さくら堂』サマの3周年記念リクエスト3位の作品、『永久に共に』です♪

王崎先輩のプロポーズ話と聞いて、ちゃっかりリクエストに参加してたんですよ、実は^^
・・・・コメントは入れなかったケド(^^;

でもいいですね〜wwひざまづいて、彼女の手を取ってプロポーズ・・
なんて神聖な構図なんでしょうかwww

大好きな人に、こんな風にプロポーズされるってステキすぎです〜ww

美夜さん、ありがとうございましたー!!




(でもこのタイトル、どうしても思い出しますね………子袋…笑)




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