帰趨 ――きすう――








   どんな道を選んだとしても……
   最後に辿り着くのは、貴方の腕の中だから―――。


   だから、私はもう迷わない。







   異世界京へと飛ばされた望美は、そこで艱難辛苦を共にしてきた男性と結ばれた。
   その男の名は、リズ・ヴァ―ン―――。
   龍神の導きにより、こちらの世界で生きることになったリズは真剣術の道場を営む傍ら、全国の神社や仏閣の行
    事に招かれ、社殿で剣舞を奉納していた。



   金髪碧眼、端正な顔に火傷跡のある外国人が、日本古来の伝統武術を極める――。



   話題性が高いと言う理由で、テレビのニュース番組の特集に取上げられた直後、その番組を見た神社や仏閣か
    ら、是非とも我が社の社殿で剣舞を奉納して欲しいと言う依頼が相次ぎ、彼の生活は多忙なものへと変わってい
    た。
   月に幾度か全国各地へと出張する事もある。
   だがメディアに取り上げられてからも彼の生活は変わらず、小さな道場で少数の門下生に真剣術を教え、昼間 
    は近所の子供達に剣道を教えながら慎ましやかに暮らしていた。



   道場は住宅地から少し離れ、雑木林を背にして建っている。
   風で揺れる木々の音と共に、今日も子供達の元気な声が聞こえるのであった。




   道場へと続く道。
   望美は制服のまま、リズの家への道を急いでいた。
   最近リズの仕事が増えたせいで、会える日がめっきり少なくなってしまった。
   今回は望美のテスト週間とリズの他県への仕事が重なり、前回のデートからちょうど三週間ぶりになる。



   先生に逢えなくて淋しい。
   先生の声が聞こえなくて淋しい。
   温もりがなくて、淋しい―――。



   リズの帰りを待つ夜は淋しくて、夜空を見上げて過ごすこともある。
   恋する乙女ならば当然と思えるこの感情だが、望美はこちらの世界に帰って来てからというもの、それを口にし 
    たことはなかった。
   それは彼の人の眼差し、声音、気遣い、温もり―――。
   五感の全て…いやそれ以上の優しい気を望美に送り続けてくれているからだ。



   リズの纏う気は穏やかで広く、望美を大きく包み込んで見守る大地のように優しい。
   そしてその眼差しは愛しさに満ちて―――。



   これ以上ないくらい、私は愛されている。
   その自信が望美を強くしていた。



   そして何より―――。
   望美にはいつも、何度でもリズに伝えたい言葉があるのだ―――。






   まっすぐ伸びる田んぼの中の一本道を走っていると、道の向こうから稽古帰りらしい 胴着を着た子供達が数人
    歩いて来るのが見えた。
   リズに剣道を教えてもらっている子供達だ。
   道場で度々会っている子供達は、望美の姿を見つけると大きく手を振った。
  「お姉ちゃん!」
  「皆…、今、終わったところ?」
  「うん!」
   息も切れ切れに訊ねれば、子供達は元気な声で答える。
  「じゃあ先生、まだ道場に残っているよね?」
  「うん」
  「ありがとう! 皆、気をつけて帰るのよ」
  「お姉ちゃん、バイバイ! またね」
   子供達に手を振って、望美は道場へと踵を返した。





   背の低い生垣に囲まれた敷地には、母屋とそれに隣接する道場が建っていた。
   飛び込むように道場に入ったが、そこにリズの姿はなかった。
   稽古の後の掃除も終わり、ガランとした道場には木漏れ日だけが降り注いでいる。
  「先生、母屋に戻っちゃったのかな?」
   望美は住居になっている建物へと向かった。
   道場と家の間には小さな庭園があり、リズがこの世界に来てから少しずつ集めた植物が色とりどりの花を咲か 
    せ、望美を出迎えてくれていた。
   飛び石の上を渡っていると、庭の奥で目当ての人が背を向けて佇んでいるのに気づいた。



  (先生……?)



   日当たりの良いその場所には春に買った桜の苗木が植えられている。
   望美の腰程の高さに成長したその木の前で考え事でもしているのだろうか、作務衣を着た長身の男は無言のま
    ま微動だにしない。
   その背中を見て、ふと望美に悪戯心が芽生えた。



  (驚かせちゃおう!)



   気配には敏感な人だから、すぐに気づかれてしまかも。
   そう思いながらも忍び足で歩を進める。
   だが振り向く様子も見せず、リズヴァ―ンはずっと背を向けたままだった。
   そろりそろりと忍び足で近づく望美だったが、あと少しというところで堪えきれず、走り出した。



   大きなその背に抱きつこうと両手を広げる。
   すると、背を向けたままだったリズの身体がほんの少し右に向いた。
   リズの右腕が上がり空間が出来る。



   それはまるで、望美が飛び込む場所を用意してくれるようだった。



   先生、やっぱり気づいてる―――。



   望美は躊躇いなくその場所へ飛び込んだ。



  「先生!」



   逞しい腰にしがみつく望美の肩を、リズは右腕でそっと抱き留めた。



  「おかえり 神子」



   低く…穏やかに紡がれる言葉。



   望美がリズに会いに来る度、リズは必ずこう言う。



  「おかえり」



   照れ臭くて、くすぐったくて
  「何故「よく来たな」とか「いらっしゃい」じゃなくて「おかえり」なんですか?」
  と訊ねた時、リズは至福の表情を浮かべてこう言った。



   お前が私のところへと帰って来てくれることが嬉しいのだと―――。



   それは数え切れない程の消失と孤独を経験したリズだからこそ、の言葉だ。
   そしてそれは望美が心から望んでいた言葉でもある。
   先生が私を待っていてくれる。
   その一言がどんなに望美の心を癒すのか、リズは知っているのだろうか?
   言われて嬉しかった。
   だから望美も言う。
  「おかえりなさい」と―――。



  「先生こそ、おかえりなさい。小祝神社の奉納、どうでしたか?」
   望美の問い掛けに、リズは微笑した。
  「滞りなく終わった」
   望美は土産話を訊く為に、ぎゅっとしがみついていた手を放して改めてリズの隣に立つ。
   長身のリズの隣に立つと、標準的な身長であるはずの望美も子供のように小さく見える。
   ずっと見上げたまま話していたら首が疲れそうだと他人は思うかも知れないが、リズがさりげなく目線を合わ
      せてくれたり、座ってくれたりするので一度も苦に感じたことはない。
   厳しいけれど、優しい人なのだ。



  「今回は剣術だけでなく、舞の奉納もあった」
  「舞ですか?」
   リズの話に、望美は瞳を輝かせた。
  「ああ」
  「神楽舞かぁ…。見てみたかったなぁ」
   残念そうな望美を慰めるように、リズが望美の頭を撫でる。
  「舞を見ている間、お前を思い出していた。お前だったら、もっと美しく舞っていただろうかと、……そんなことを
      ずっと考えていた」
   真顔で言うリズに、望美は思わず頬を赤らめた。
  「せ、先生ったら……。それ、舞人に失礼ですよ」
  「そうか? だが事実だ」
   リズは恥ずかしげもなく即答する。
   嬉しいやら恥ずかしいやらで、まともに顔を合わせられなくなった望美は真っ赤になりながら頬に手を当てて
      俯いた。
   顔を覆って黙り込んだ望美を見て、リズは心配そうに身体を傾け、訊ねる。
  「どうした、神子? 具合が悪いのか?」
   指の隙間から、リズの不安げな表情が見える。



   先生っていろいろなことなんでも知っているのに、こういう時、変に鈍感なのよね―。



   それが妙に可笑しくて―――。



  「なんでもありません!」



   くすくすと笑い出した望美に、リズは戸惑っているようだった。
   それがまた可笑しくて、望美は顔を覆っていた手でリズの両頬を捉えると、そのまま強引に引き寄せ唇を重
      ねた。
   一瞬触れただけの口づけだったが顔を離して見ると、リズは突然の行為に青い目を大きく見開いたまま固ま
      っている。
  「先生……?」
   今度は望美が心配して問えば、漸く我に返ったリズは白い肌をほんのり赤く染めて、望美の触れた唇に骨 
      張った指を当てた。
  「……神子、突然こんなことをしてはいけない」
   窘められ、望美は拗ねたように唇を尖らせた。
  「だってキスしたくなったんだもの。…はしたない女の子って、先生は嫌い?」
   強気に見せながらも不安げに揺らす望美に、リズは小さく苦笑する。
  「神子をはしたないと思ったことはない。すまない。突然で驚いただけだ」
   そう言いながら、リズは優しく望美を抱き締めた。
  「先生……」
  「ずっと逢えずに自制していたからな。あんなことをされて抑えが効かなくなってしまいそうだったのだ」
  「せ、先生!?」
   言葉の意味を察して、望美はリズの胸の中で恥ずかしさに身を縮めた。
   ストイックなリズの「らしからぬ言葉」は、望美を動揺させるには充分だったのだ。
   身を硬くする望美の背中を、リズは小さな子供にやるような仕草でポンポンと叩く。
   なんだか子ども扱いされているように感じ望美がリズを見上げると、先程とは違う意味で眦を赤く染めてい 
      た。



   まるで笑うのを堪えているかのように……。



   望美はハッとした。
  「先生、もしかしてわざと言ってます!?」
  「いや、そんなことはない。本当にそう思ったのだ」
   そう言ってはいるが、リズの瞳には揶揄めいた光が見え隠れしている。
  「もう先生ったら人が悪いんだから……」
   嘆く望美の額に、リズは笑いながら優しい口づけを落したのだった。









  「神子、……今度、神楽舞があったら見てみたいか?」
   しっかりと望美を腕に抱きこんだまま、リズが訊ねる。
   温かなリズの腕の中でまどろんでいた望美は、ムックリと起き上がった。
   胸を掛け布団で隠してはいるものの、背中や肩に散っている紅い花びらが鮮やかに浮き上がる。
   望美が寝ぼけ眼で隣を見下ろすと、大人な恋人は眩しそうに望美の裸身を見つめていた。
  「神楽舞……?」
  「今度、舞の奉納があったら共に行きたいか?」



   他県の神社や仏閣での剣の奉納は、日や週を跨ぐことが多い。
   望美の生活を妨げるようなことはしないと言うリズは、今まで望美を誘ったことがなかった。
   初めての誘いに嬉しく思いつつ、だが望美は首を振った。
  「舞より先生の剣舞が見たいな……」
  「私の……?」
  「だってテレビでしか見たことないんですよ? 道場じゃ本気の先生って見たことないし…。神聖な場所で、神 
      様に捧げる剣だもん。きっと格好良いだろうなぁって、いつも思っていたの」
  「神子……」
   リズの表情が戸惑いに曇ったのを見て取って、望美は慌てた。
  「あっと…っ! 無理にじゃないですよ! いつか機会があった時に誘って下さい」



   リズは仕事で行くのだ。遊びではない。
   我が儘は言いたくなかった。
   


   望美は目を閉じると、そのままポテリとリズの胸に頭を乗せた。





  「……淋しいか?」
   絹糸のような望美の髪を梳きながら、リズが問う。
   望美はゆっくりと目を開けた。
  「大丈夫です」
  「……神子」
  「あの世界にいる時と違って、ちゃんと帰って来てくれるって分っていますから…、だから平気です」
  「そうか。……だが、私は淋しいと思うことがあるぞ」
  「え、先生が……?」
   思ってもみなかった言葉に驚いて起き上がると、男は微笑しながら髪に絡めていた指を少女のまろやかな 
      肩へと滑らせた。
  「ああ。人間の欲に「果て」はないらしい。…こうして、お前の温もりを感じ「生」を確かめることが出来る。この 
      至福を知った後も、私は運命の上書きを繰り返していた頃と何ら変わりない。私の心は今もお前を求めてや
      まないのだ」
   情けない男と思うか? と問うリズに、望美は嬉しくて声を上げる。
  「ううん、そんなことない! 私だって本当はずっと淋しかったんだもの」
  それを聞いて、リズは嘆息した。
  「やはり私は神子を淋しがらせてしまっていたのだな」
  「……先生」
   リズの告白は、望美に本音を言わせる為だったのだ。
   望美はもう一度首を振った。
  「違います。淋しいだけじゃなかった。逢えなくて淋しい時は、私にしか見せない先生の笑顔を思い出すの。そ
      うすると「ああ、いっぱい先生に愛されて…私はなんて幸せ者なんだろう」って思う。それに私は「淋しいから 
      行かないで」って甘えるより、「おかえりなさい。帰って来てくれてありがとう」って先生を迎えたいんです」
   望美の言葉に、リズは目を細める。
   「お前の瞳は常に前へと向き未来を選択しているのだな。私は…私の選択した道の先に、一生お前の姿を
      探すだろう」
  「先生、大丈夫ですよ。もしも二人が離れ離れになっちゃっても、絶対私は先生のところに辿り着けるって信じ
      ていますから」



  「辿り着く……か」



  「そう、辿り着くんです。先生もそう思いませんか?」
   望美の力強い眼差しに、リズはこれ以上ない程穏やかに微笑する。



  「ああ、そうだな」



   望美はエヘヘと嬉しそうに笑うと、仄かに頬を染め目を閉じた。
   その甘えた仕草の意味を察した男は、溢れる想いのまま――辿り着いた「証」に唇を寄せたのだった。








  「先生…、おかえりなさい」



  「おかえり、私の神子―――」





                            了





『チェシャの森』の橘こもと様から、サイト開設記念に頂きました!
初描きリズ神子イラストを遠慮もなにもなく送りつけた私に、
こんなすばらしいSSを下さるなんて…!
まさにエビで鯛? いえ、鯛以上のモノを釣り上げたような…

こもと様、ホントありがとうございました!
ささ、皆サマ一緒に眼福しましょう♪




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